2013年7月31日水曜日

平成25年 本牧神社例大祭 「お馬流し」 神奈川県無形文化財

8月4日(日) 午前10時 本牧漁港
新本牧漁港の地図はこちら
今年は、50年ぶりに復活した木造祭礼船で、永禄9年(1566年)から受け継がれてきた厄祓いのお馬流し(神奈川県指定無形民俗文化財)が盛大に行われます。
本牧神社社務所
由緒沿革

 拡大写真を表示ハマの奇祭として名高い本牧神社の「お馬流し」神事は、永禄九年(1566年)から四百年以上も受け継がれており、現在、神奈川県無形民俗文化財、及び神奈川県民俗芸能五十選に指定されている。お馬とは茅(カヤ)で作った馬首亀体で、頭部からの羽や、長い尾を含めると体長約一メートル。馬首には白幣、口には稲穂をくわえ、亀体の中央には大豆と小麦をふかして、黄名粉をまぶしたお供えと、神酒を白素焼き皿に容れて神饌とする。

 お馬は六体奉製される。旧本牧六ヶ村の間門、牛込、原、宮原、箕輪、台より各一体で、作るのは古来、羽鳥家の当主と決まっており、ご当主自身が斎戒沐浴して約一週間かかって作り上げ、使用する茅も神社境内にて神職が修祓の上育成した「お馬の茅場」から採取される。このお馬にあらゆる厄災を託して本牧の沖合い約五キロの海上に流し去る。一旦放流したお馬が陸地へ還着することを極度に恐れるため、潮の干満を大切にする。このため祭日は旧六月十五日大潮の日に決まっていたが、明治に太陽暦が採用されてからは八月第一か第二日曜日で、毎年一定しない。

 拡大写真を表示祭りの前日、羽鳥家から神社へと「お馬迎え式」が行われる。六体のお馬はそれぞれ「お馬板」と称する扇形の檜板の上に安置され、恭しく頭上から頭上へと渡し継がれ、決して目線より下げない。奉載する人々は真夏にもかかわらず紋付絽の羽織に袴、白足袋、白鼻緒の草履という正装姿。一歩進むごとに両脚をそろえて静止するという緩歩で、その間、忌竹を持つ人々が奉載者の周囲を絶えず祓い清める。炎天下、約五十メートルの間を半時もかけてのお馬迎え式は、地域住民のお馬に対する畏敬の念の表れともいえる。

 拡大写真を表示祭りの当日、神社を出発したお馬六体は、奉載車の上に安置され、宮司以下総代・各町の代表らが供奉して氏子各町内を巡行する。お馬の御列を迎える各町ではそれぞれ神酒所を誂え、お馬の渡御を待つ。お馬の御列は各神酒所にさしかかると速度を下げ、待ち受けていた町内の氏子から神輿奉輿や獅子舞・お囃子の歓迎を受けるとともにそれぞれの地域の災厄が乗り移る。各町の氏子から親しく見送られたお馬の御列は、本牧埠頭先の舟着き場(本牧漁港)へと運ばれる。

拡大写真を表示
拡大写真を表示
待ち受けている神船の二十歩ほど手前に来ると、それまでゆったりと緩歩を続けていた奉載者は、一変して急に神船めがけて駆け出す(せめと称す)。祭りは一気に勇壮なものになり、神船は乗員四十名、四挺の櫂、五挺の櫓で力強く沖へ漕ぎ出され、沖合では宮元の船の合図によってお馬を海上に流す。お馬は波間を軽々と泳ぐように走る。神船は流すと同時に取り舵へ左回りに船首を陸に向け、競漕となる。若衆は声を合わせ力を合わせて力漕し、白波を蹴立てる。海岸では色別けした布を振って各町が応援する。お馬に託した災厄から一刻も早く逃れる意味と、古くは勝ち船の順で神社に参詣したという。
 神船は古くは六艘、戦前は四艘、戦後は二艘になり、現在もこの二艘が保存されているが、今は動力船に受け継がれている。世界的貿易港ヨコハマの一角に、こうした古い神事が今に保持育成されているのも、本牧住民の篤い氏神信仰と郷土愛のしからしむるところといえよう。
拡大写真を表示
拡大写真を表示
拡大写真を表示